
彼の行動はとても分かり易いのです。たとえば、街中でイカす女の子(かなり時代掛かった言葉遣いでスミマセン)が目に止まると、いきなりカーステレオにかかっている矢沢永吉のレコードのボリュームを一杯にして窓を開けてからその女の子の横につけて、渋い顔してジッポーでタバコに火をつけてポーズを決めるのです。チラッとでも女の子がそぶりを見せれば速攻撃で声を掛けていました・・・。当時、女の子の注目を引くには車は不可欠だったようですが、最近はどうも事情が変わったようですね。車屋さんが大変な訳です。
それはさておき、当時の私の方の生活はと言いますと、他ジャンルの邦楽も一通り聞かねばならないということで、いろいろ聞いたのですが、どれもこれも同じに聞こえて往生してました・・・。でも何故か宮薗節という浄瑠璃音楽が心地よく聞こえたので、それは繰り返し聞いてました。といってもマニアではありません。たまたま録音した宮薗千恵という人の「紙屋治兵衛」のサワリが気に入ってそればかりしつこく繰り返し聞いていたのです。艶っぽいなぁ・・・なんて思いながら。これじゃ当時の女の子には縁があるわけないですね。
邦楽の古い音源に滅法詳しい友達がいまして、久しぶりに会って話す内に、僕は詳しくは無いけれど、学生時代、宮薗節は好きでしたと伝えたら、早速に古いけれどいい音源をコピーしてくれました。久しぶりに宮薗節を聞きましたが、懐かしさもあり、また当時は聞き取れなかった細やかなアヤなどが聞こえてきて、それはそれは感激的でした。なかなか家でゆっくり聞く時間はないので、移動のクルマの中などで繰り返し聞いています。
宮薗節を聞いていると僕は、演者ととても親密な空間にいるような錯覚を感じます。これは僕個人の勝手な思い込みかも知れませんが、その点については地唄の端物と共通のものを感じます。ずいぶんとその両者の様式が違うのにも関わらずです。さりげない節使いもやけに生々しく感じるのは、観念上のその至近距離感にあるのではないでしょうか。わずかにかすれた吐息のような艶めかしい声を耳元で聞いているような気がしてきて、聞き入っているとついカーステレオのボリュームを上げてしまいます。体温も上昇して来たのでしょうか、やけにクルマの中が蒸し暑くなって来て、エアコンの温度を下げようとしましたが、待てよ今日は外気温はそんなに高くはなかったはずと、窓を開けることにしました。
予想どおりヒンヤリとした風が気持ちよかったのですが・・・、信号で止まると周りの人が化け物を見るような顔でこちらを見ています。はたと気付きました。都心の真ん中を、大音量で宮薗節流しながら、小さなミニバンを運転している自分の姿を外から見た映像が、その瞬間僕の脳裏に映し出されたら思わず噴出してしまいました。これでは女の子どころか、一般人皆引いてしまうでしょうね・・・。
でも正直に言うと、宮薗千某の浄瑠璃は矢沢永吉とてもかなわぬ濃厚な色気だと思いますよ。今の若い人はファッションでクルマ乗り回す人は少ないようですが、できれば流行のクルマで、浄瑠璃流してタバコでもくわえて、気取りながら街中流すような若い人は出てこないでしょうか???などと儚い妄想が浮かんで来たのでした。